りくとはりくと

7歳と3ヶ月が過ぎて、発語なし。チックの症状で、あ〜、う~、は言えるけどコミュニケーションではない。

でも、大人が言ってることは分かってる。どこかで傷ついて帰ってくると親に甘えてくる。

2年生のクラスに慣れないのかな。放課後等デイに新しい友達が来てドキドキしてるのかな。

顔の表情や声のトーンで良い日だったかどうかは分かる。そして風呂に入りながらタッチでyes no の会話をする。

せっかく慣れた一年生のクラスじゃなくなって、好きな先生も担任じゃなくなってストレスが多いみたい。

2月の検査で療育手帳がA−1になりました。

それでも親としては2年前のような悔しさはなく大人しく受け入れた重度知的障害の判定です。

2年前は・・・

フェイスマスク&不織布マスクの検査員が、子どもたちが遊んでいてウルサイ部屋の近くで検査をし

不慣れな人だったようで手順などに戸惑い同席してた先輩検査員も、やり直しも仕方ないと思ってたようでした。

伝えられた結果は

言葉を理解していないし、何の指示も入らないという外的要因を無視した判定でした。

再検査要求をし、結果的に中等度のB−1に落ち着きましたが。

個人的な本音では重度と判定されてもおかしくないレベルだとは思いましたけどね。

皆さんにはクレーマーと笑われましたが子供を正しく検査できない環境で、その後の人生を決めるのは

例え、それが妥当な検査結果であっても僕も妻も許せなかったんです。

さて、そういう子に対して皆さんはどう向き合っていますか?

私という父親はなるべく「出来る子」に育てようと努力しますが、現状が伴わないと

瞬間的にフラストレーションを感じてしまいます。

そんな時は深呼吸をして【生きているだけで良い】そう高らかに宣言した自分のブログを思い出すようにしてます。

自尊心がボロボロになってパニックになったり、生きるのがツラいと思われるより、僕はこれで良いんだと思ってほしい。

そうなれるように、親が努力しなきゃダメだ。

僕は、生活スタイルを子供を含む家族中心に切り替えて日々過ごしています。

それは、普通の親からみると自由のない番人のようだと言われますが

ずっと続くわけじゃなくて、年齢を重ねる毎に、問題は変化していくだろうから。

早めに愛情たっぷりにしておくと2次障害も起きにくいだろうと予測してるんです。

それこそ、こちらが加齢でパニックの息子相手が出来なくなる前に

少なくとも両親の言うことは守ってくれると嬉しいなぁと淡い期待感をもった有期的な番人生活なのです。

そんな事を考えていると、りくとは大好きなユーチューブで、大好きな歌を聴いているのが聞こえてきます。

その歌詞を聴いて、グッと来ないわけがない。話せない子が、毎日ヘビロテで聴いているのは

きかんしゃトーマスの「あなたはあなた。」

 

僕は僕だ
他の誰にもなれない。

こんな自分で幸せ
僕のままでいよう。

スピードとか強さじゃないわ
車輪だけを回せばいい

大きさも関係ないよ
大事なのはココロ。

自分らしく走れ
行けるとこまで。

自分らしい速さで
行けるとこまで。

 

ずっと聴いている。

嫌なことがあった日は特に念入りに。

りくとは、りくとで良いんだよ。

改めて思わされる新学年の1か月も今日で終わり。

さぁ、ジジババのところへ遊びに行こう。りくとのままで居よう。

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